うまれてくるまでは、/ 今では
2014.01
(それは見知らぬあなたのことばだった。)
わたしは、あたまにうかんだひとつのことばを手がかりにして、それを自分のほうにたぐり寄せるように作品を制作する。そのときのことばがそのまま作品の名となる。それが今回、はじまりのことばをわたしが忘れて、その後いくつものことばの間を迷子になってしまったのは、あれがあなたのことばだったからだろうと思う。
本を読めないわたしは、歴史をよくはしらないし、耳でおぼえた。こもりうたのようにして大人たちが語ったおもいおもいのものがたりに、自らを癒すためのむかしばなしに、わたしは彼らの、はらのそこにある血のかたまりをみた。土に染み付いた歴史に、度々襲われながらも、わたしたちは、
ほんとうのことはわからない
わたしはあなたに会うことが出来ずに死ぬでしょう。
わたしは、ながい時間をかけて、これまでに、あなたについてのものがたりをこの耳でおぼえました。それが語り手たちによって都合よく塗り替えられた現実であっても、わたしはそれを信じなければあなたを知ることができなかった。くちづたいの記憶が、私の知る現実で、あなたについてのすべてです。
一枚の写真にあなたをなつかしんだ。そこにあなたはうつされていないのに、いびつに切り取られた構図はまるで、カメラにはあなたがみえているかのようで。1994年2月26日。あの写真にうつされた大人たちは少なくともあなたを知っている。となりに寄り添っていたかったか、忘れてなにもなかったことにするべきか、わからずとも、あたたかいひのもとにあなたの影をみたかった。
自らあなたのものがたりを、大人たちから引き出そうとは思わない。彼らが必要なときにだけそれは現れ、わたしはそのときがめぐってくるのを待つしかない。近い将来、わたしはあなたを失くすことになるでしょう。ものがたりに息づくあなたのイメージを、わたし自身に宿らせ、かたりついでゆく必要があるのだと覚悟したのです。
未だ見ぬこどもたちのために?
(オーラルヒストリーによるイメージをてがかりにして、わたしはあなたのまなざしを想像し、ふるまい、愛するこどもたちの特別な日の写真を手にみつめ、漂い、人生を顧みる。)
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